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チャプレンからの一言

チャプレン 竹ヶ原 政輝

岡山博愛会には、施設付きの牧師(チャプレン)がいます。ご相談や面談も受けさせて頂いておりますので、ご希望の方は各施設のスタッフにお尋ねください。 また、毎週日曜日午前10時15分より岡山博愛会教会で礼拝を行っていますので、どなたでもぜひお越しください。

岡山博愛会教会
〒703-8295 岡山県岡山市中区御幸町1-27 TEL:086-273-8941

「本の中の本」とも言われる聖書ですが、博愛会病院では配布用の新約聖書を用意しており、ご希望の方には無料で差し上げています。ぜひ手に取ってみていただきたいと思いますが、ただ、ご注意いただきたいのは、新約聖書の出だしのところは、かなりつまらないということです。長々とカタカナの人名が並ぶ系図から新約聖書は始まります。そこは一旦読み飛ばしていただいて結構です。その系図が終わりますと、ヨセフとマリアという夫婦に子どもが生まれてくる、それが救い主であるという天使のお告げのシーン、さらに東の国の博士たちが救い主の誕生を祝いにやってくるというシーンに続いていきます。その辺りからは読み易くなっていくと思いますので、最初のところで読むのをやめずに、どうぞ読み進めて行っていただきたいと思います。

その新約聖書の内容を一言で言い表していると言われるのがヨハネによる福音書3章16節です。
「神はその独り子をお与えになったほどに世を愛された、独り子を信じる者が一人も滅びないで永遠の命を得るためである。」
独り子というのは神の子である救い主イエス・キリストのことですが、イエス・キリストはこの世の人々を救うために神様がこの世にお与えになった神の子であるということが言われています。この神の子は、神様のご意志をその死を以てこの世の人々に表す人でした。神様のご意志とはどういうものかと言いますと、例えば旧約聖書でこんなことが言われています。

「わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。」(エゼキエル書33章11節)
これが神様のご意志です。この神様のご意志を表すために、イエス・キリストはこの世に、私達のもとに来られました。先ほどのヨハネ福音書3章16節の次の節、17節ではこう言われます。

「神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。」
聖書は、神様の救いを語る本です。ただそれは、神様が正しい人を探して救う物語ではありません。正しくない者をどうにかして救いたいとお考えになった神様が、ご自身の独り子をこの世にお送りになるという、しかも身代金としてお与えになるという愛の物語です。

この神様の愛を表された方は「世の光」であったと言われます。しかし、「光が世に来たのに、人々は光よりも闇の方を好んだ」とも言われます。これが人間の実態であったわけですが、神様は決して悪人の滅びを喜ばず、立ち帰って生きることを望まれました。この神様のご意志に従い、イエス・キリストは私達に代わって十字架にかかって死なれました。そして、死んで復活され、私達が天国の住人となる道を開かれました。「本の中の本」である聖書には、この道が示されているのです。

キリスト教は「イエス・キリストの復活」ということを信仰の核としていますが、聖書の時代ならいざ知らず、今どき復活なんてなかなか信じられるものではないと思われる方もおられるのではないでしょうか。しかしながら聖書の時代であっても復活なんて信じられないという人は少なからず存在しました。パウロというキリスト教の歴史において大きな役割を果たした紀元一世紀の人物がおりますが、彼がアテネという町で活動していた時のことです。キリストの教えを語る彼の話にアテネの住民は大変な興味を示し、大勢の人が集まってきました。ところが、話がイエスの復活というところに至るとあざわらいながら行ってしまったということです。復活というのは、昔の人だから信じられたとか、そういうものではないということです。

ただ、教会はイエス・キリストの復活を信じた人々によって建てられてきましたし、パウロも復活されたイエスに会ったと言います。その出会いによって彼は変えられました。元々パウロはイエスのことが嫌いで、教会を迫害していました。しかし、復活されたイエスと出会い、180度方向転換をしてキリストの教えを伝える伝道者となり、地中海周辺にいくつもの教会の基礎を作っていきました。復活を信じる信仰は、このように人を変えることができる力を持っています。

復活を信じる信仰は、信じる人にすごいことをさせます。どんなすごいことをさせるかと言いますと、25歳の女性が異国の地を訪れ、45年もの年月その土地の人々に仕え、勲章をもらうまでになる、例えばそういうことです。1891(明治24)年に岡山を訪れた若き女性宣教師によって、岡山博愛会の火は灯されました。アダムス宣教師の中にはイエス・キリストの復活を信じる信仰が息づいていたはずです。イエス・キリストは復活された後、弟子たちに言われました。

「私は世の終わりまでいつもあなたがたと共にいる。」(マタイによる福音書28章20節)
このように言われたイエス・キリストはアダムス宣教師とも共にいてくださって、その貴い働きを支え、導いてくださったのでした。イエス、キリストの復活がなかったら、ここに大きな病院はあっても、建物に十字架はついていないとか、そういうことはなく、そもそもここにこれほどの病院はなかったのだと思います。イエス・キリストの復活を信じた人々がつないだバトンが海を渡り、この岡山の地に大きな実りをもたらしました。それは、この地の、この地域の人々を神様が愛しておられるからに他なりません。その神様の愛を、どうか今日も感じていただけますよう。

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